「さて。主人も送り出した事だし、ゴミも出したし。家の事をしようかな、と。それから少しゆっくりしよう、と。」
と、半袖の白ブラウスの上にエプロンを付けた女性が、玄関前で独り言を言っている。
女性は両手で前髪をかき上げ、ポニーテールにした長い髪を肩から後ろへやると、歩いて左側の部屋に入る。
「あなたはなかなか洗濯されなくて気の毒よね。ねえ家庭用のスリッパさん?偶には洗濯してあげよっか?じゃあまた後でね。ふふ。」
と下を向き、自分が履いたスリッパめがけて話しかけている。
広い部屋に入ると、ソファがあり、前に低いテーブルがある。向こうにテレビがある。ここはリビングのようだ。そして女性は、まずソファに座ってしまう。
広いソファの左端に座った女性は。右側の空席の方を向くと、
「ふぅ。あなたはいつも、あたしや主人や息子とかの尻に敷かれて、大変、可哀想ね。あたしだって、主人を別に尻に敷いてはいないぐらいなのに。」
と柔らかく低い声で言う。
「さ、さ。洗い物からしなくっちゃ。」
そしてすぐに、ソファの裏手に回って、すぐそこのキッチンの奥へ向かう。
「食器さん達。長らく待たせてごめんね。すぐに綺麗に洗ってあげるからねぇ。」
と言って、シンクに溜まったお皿やお箸、コップ等を洗う。
とその時……。
「あ!」
重ねていたお皿から一枚だけ滑り落ち、その一枚が床に落ちて割れてしまった。
「ああ、このお皿さん、お可哀想…。あたしのせいだわぁ。最後の一枚の重ね方が悪かったのね。お皿さん、およそ4年間と、短い間だったけど、ありがとうね。なんまんだぶ。なんまんだぶぅ。」
と両手のしわとしわを綺麗に合わせて、お祈りしている。
女性は洗い物を終えると、トイレへ向かう。
「さて、次はトイレ掃除だわ。」
女性は、一階トイレ内で、ビニール手袋をはめると、便器とその周りを、先ずはクリーナーをふきかけてから、全体的にしっかりと擦る。そして開き戸から、白く四角いナイロン袋を取り出して、真ん中の口を開ける。
「よい、と。もう一枚、と、もう一枚……うう…もう!どうしてあなたは、後半になるとそうやって、団体で上がって来ようとするのよ!一枚ずつで、それも全部で三枚まででいいんだってば、もう…戻すとぐちゃぐちゃになりやすいから、嫌なのよ、もう…。」
女性は、ウェットティッシュとその袋に向かって、軽く怒っている。
「トイさんも、トイレさんよ。毎日、掃除をしてもしても、すぐ汚れて臭くなるし、もう………とまあ、これはあたし達人間のせいでもあるわよね。」
女性はトイレ掃除を終えると、廊下の奥へと向かう。洗濯機がある部屋へ入って来た。
「さて。次は、洗濯物を干す時間だ。次はあなた達が干される番よ。衣類さん達。」
と言うと、女性は衣類が沢山溜まった籠を持って、リビングよりも奥のサンルームへと向かった。
「ふう、暑いわね。お天道様あ。どうしてあなたは、そんなに、まばゆくて暑い暑い日光を、放つのですか?あたし、日焼けとかはしたくないのよお。でも、カルシウムの吸収に大切な、ビタミンDとか与えて下さって、ありがとうございまし。」
と言ってから、洗濯物を干す。
暫く干していると、洗濯バサミが右手からパチンと弾け飛んだ。
「あら、ごめんあそばせ。今のは、ちょっとばかり慌てた、あたしがいけなかったのよ。てへ。」
と言いつつ、洗濯バサミを拾う。
女性は洗濯物を干し終わると、籠を脱衣室の洗濯機横に戻す。少し腰を低くして、下に置く。そしてまた立ち上がる。
「あら?あらら?!もう!どうしてあんたは、すぐにそうやって伝線しちゃうのかしら、ねえ?!全くもう。貧弱なんだから。ごめんなさい?ですって?謝ったって、伝線したのはもう、戻らないでしょ?まあ、あんたのような安物を選んだあたしも、悪いんだけどね。次は伝線しなくて小穴だけが開くタイプの物を選んで買うわね。」
そう言うと、女性は脱衣室でストッキングだけ脱いでゴミ箱に入れ、再び台所へと向かう。
「今日の夕飯の具材のチェックだけでも、しておこうかな、と。」
と言って冷蔵庫を開ける。
「ふむ、ふむ。ハムもソーセージも、鮭フレークも、あるし、よし。次は、その下を開けて、と。麦茶もボトル2つ分と、沢山作ってあるし、キャベツもレタスも玉ねぎもある。……それからこれは、スイカね、スイカ…。もう!ちょっと、スイカさん!あんたはあんたで、いつもいつも、冷蔵庫の中で、そうやって場所、取り過ぎなのよ!新しく野菜とか冷凍食品とか買って来た時、何度もしっかり閉めないといけない時があるのよ!もう!バタン、バタン!バタンッ!ってね。冷蔵庫さんもね、いい事?いつか君が古くなったら、次はもっと大きな物と交代して貰うからね。……ふあ~あ。じゃあちょっと、買い物とかに行く前に、ソファでちょっと寛ぐとしようかな。」
暫くして、女性はウトウトし、いつの間にか眠ってしまった。
「すぅ、はあ、すぅ…はあ……。ん。あら、いけない。今日のクッキングが始まっちゃう。」
と言ってテレビを点ける。コップ一杯の水を用意して、テレビを観る。
約一時間後。女性はテレビを観終わると、バッグと財布を取り出し、玄関先へと向かう。
紐付きサンダルを履くと、外へ出る。
「ここからスーパーまでなんて、たったの五百メートルよ。サンダルさん、お財布さん。バッグさん。ねえ。近くて便利よね。まあ、車も自転車もあるけど、健康やダイエットの為に今日も歩くわ。」
と言って、速足寄りに、やや速く歩く。
少し離れた場所からは、二人の主婦らしい女性が、コソコソと何か話していた。
「こんにちは!」
「こんにちはあ!」
近所の人なのか、年配らしい女性が挨拶をすると、こちらも元気に挨拶を返す。
暫く歩いて、スーパーに着く。中へ入る。
「あらあら、今日は、これや、それが安いのね。やっぱり、お得だわあ。ねえ、籠さん。」
少し歩くと、
「平日なのに、お客さんで賑わっていますわねえ。いい物に出会うと、心が安らぎます、なんてね。うふふ。ああ、それにしても、まだ二十代に見える若いお母さんらしい人も多いなあ。ん、あれは新婚さんかしらん?あたしなんて、もう三十路。今年の秋にはもう三十なのよね。誕生日が九月一日だから。やれやれだわ。なんて。ねえ、今日買われる、すき焼き用の牛肉さん達。」
と、籠の中に向かって声を掛けている。
女性は、レジで会計を済ませると、買った物を大袋に詰めて行く。
「これぐらいならあたし一人で持てるし、偶には身体も鍛えなきゃね。」
それから間もなく帰宅し、夕飯の支度を始める。
「包丁さん。あなたはなかなか、鋭いから、あたしも手を切らないように気を付けるわね。包丁とまな板さん、あたし達一家の夕飯はね、すき焼きにしたの。金曜日で、主人も会社は休みで、小学三年生になる息子も学校は休みで、もうすぐ夏休みだから、これですき焼きだと、きっと喜ぶわ。うふ。」
「はい、お鍋さん。次はあなたの出番よ。よいしょっと。」
と言って、下の引き出しから大きな鍋を取り出す。
「お醤油さんも、お砂糖さんも、ね。ささ、さ、さ、準備、準備。るんるんるん♪」
「あら、壁にかかった時計さん。あなたはもう、十五時、過ぎちゃったのね。」
時計は、午後の十五時十分頃をさしている。
「ただいま~。」
「あら、息子だわ。」
この家の息子が帰宅したようだ。
「はい、おかえり。ちゃんと手を洗うのよ。」
「はーい。あ、そうだ、ママ!今日の夕飯は、何?」
「ふふん。す、き、や、き、よん!」
「やったあ!」
「その代わり、ちゃんと手を洗って、宿題も済ませておくのよ。」
「はーい。」
そう言うと、息子は手洗いとうがいをして、二階へと上がって行く。
夕刻だ。またまた女性は、何かに声を掛ける。
「ねえ、トイレのドアノブさん。息子はもうそろそろ、宿題を済ませる頃かしらね。ねえ、フローリングの床さんも、天井さんも、そう思わない?」
「ただいま!今、帰ったよ。」
女性の旦那が、帰宅したようだ。
「おかえりなさい、あなた。すき焼き、出来てるわよ。」
「おお、すき焼きか。いいねえ。それも、わざわざ抜き打ちで、寄りによって今日のような日だとは、尚更嬉しいよ。気が利くねえ。」
「いやいや、そんな。でもありがとう。ちゅっ。さ、着替えて、着替えて。」
「いただきまーす!!」
三人は手を合わせて、一斉に声を上げる。
「ふう、ふう。」
息子は、肉からつまんでいる。
「あたしは、お野菜から。」
「じゃあ、僕も、野菜から。白菜からにしよう。一郎。おまえはな、まだ子供のうちなんだから、肉も遠慮なくしっかり食べなさい。」
「うん!」
「その代わり、野菜もしっかり食べるんだぞ。」
「そう、そう。パパの言う通りよ。一郎。」
「はあい。」
(うふふっ。やっぱり、返事や応答がある、家族と言う人間との楽しい会話が、一番だわね。物にも感謝しないと、だけどね。さて。今日も一日が終わって行くわ。ねえ、その辺の空気さん達。なんてね。)
了
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