こちらはある日、自分も少しでも暴力団の歴史や仕組みに詳しくなりたいとか、他はストレス解消も兼ねて思い切って購入してみたのがこちらです。↓
『近代ヤクザ肯定論〜山口組の90年〜』(宮崎学)。
ノンフィクション作家の宮崎学氏は、かつての暴力団・寺村組の組長を父親に持つ、ヤクザ家系に生まれ、自伝書の他、アウトローや極道に関する著書も沢山書いています。👨😊
そして今回紹介する本は、こちらの『近代ヤクザ肯定論』になりますが。
これは飽くまでも、あの山口組の歴史について詳しく綴られ、近代のヤクザをやむを得ず肯定してはいたものの、決して、現代までのヤクザを
真っ向から肯定していると言う意味で御座いませんので。💦🙇👨
ヤクザとは。
ヤクザは、かつては所謂(いわゆる) "渡世人(とせいにん)" のようなもので、家庭間や友人関係や仕事関係のいざこざ等から、諸事情により、社会から離脱、逸脱して行った人達の事をも指します。
好きでふざけてヤクザになろうとする者はあまり居ませんし、
真面目人間がヤクザになる事も有り得ます。
江戸時代には、性悪な堅気を懲らしめて弱者を救う、義賊のようなヤクザも存在していたと言います。
さておき、先ずは山口組の初代組長について簡潔に挙げて行くとします。
※以下、本書及びwikiより。↓
山口組結成者にして、初代組長でもあった山口春吉氏は、
元々は漁師の仕事をしていました。その後神戸に働きに出ます。そして山口組を作りました。
流石に初代ともなると情報が少なめですが、舎弟に暴力を振るった大長政吉を襲撃し、鉄瓶で殴打して頭を割る→向こうが報復しにくる→日本刀で刺殺、返り討ちにしたと言う話しが残っています。
やはり山口組。
初めからしっかりと「暴力団」だったようではあります。
そして二代目組長は、初代の長男・山口登氏です。
山口登氏は湾岸業だけでなく、相撲界や歌謡界まで事業を広めたといわれています。
昭和35年、初代組長「山口 春吉」の長男として生まれました。
山口組創設10年で山口春吉に山口組を任され組長に就任。その時まだ23歳ととても若い組長でした。
この頃、山口組は大島組という組の系列組織でしたが、二代目就任後、抗争が発生。
大島組と山口組の、組員同士の抗争を止めなかったあたり、生粋の暴力団組長であると考えられます。
その後、上納金を納めなくなり、大島組から破門に。破門後は敵対し始め、山口組の組員が大島組の組員を殺害。どんどん因縁の関係になっていきます。
また山口登氏は吉本興業との提携や、ボクシングタイトルマッチを仕切るなど興行面にも進出。
沢山の仕事を作っていき、山口組を育てていきました。
そしていよいよ、山口組を全国組織まで大きく拡げた、三代目の田岡一雄氏です。
大正2年生まれ、5人兄弟の末っ子として生まれました。父母を幼い頃に無くし、叔父に育てられます。
小学校時代には初代組長の次男坊「山口 秀雄」と同級生に。
高等小学校卒業後に就職するも、現場主任を殴打し退社。当時から荒々しい性格だったんですね。
その後「山口 秀雄」の誘いで山口組の一員になります。
山口組三代目組長「田岡 一雄」は、初代の末裔ではない歴代初の組長です。
妻は田岡文子さん。娘さんは田岡由伎さん。
娘の田岡由伎さんは有限会社ユキオフィス代表取締役を務め、甲陽運輸株式会社監査役株式会社セルフィール監査役を務める等、大きく活躍していました。
テレビ番組に出演した経験もあります。
近代からの暴力団・山口組については、ざっと大まかにはこんな感じです。
他にも数多くのエピソードは綴られていますが、兎に角、山口組の三代目辺りまでの90年間が詳しく記されています。🙋👨😊
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