光と風と時の部屋

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『馬鹿は哲学書を読んだら治るのか?』

馬鹿は哲学書を読んだら治るのか?

まず、きっと治らないだろう。

実は、俺は相当な馬鹿なんですが、本をいくら読んでも馬鹿は少しも良くならなかったです。

寧ろ悪化したくらいです。
俺の場合は哲学書より小説のほうが多かったのですが、頭がフィクションになっただけでした。

では、小説じゃなくて哲学書ならどうなのか?
哲学とは、普遍があまねく通ずることを追求する試みだそうですね。
だとすると、哲学を究めるとは普通になるという事ですね。
ただの馬鹿が普通の馬鹿になったとして、それは馬鹿が治ったと言えるのでしょうか?

多分、言えないかと。
そもそも、ただの馬鹿と普通の馬鹿の区別が付く人はいないのですね。

しかし、最新の「哲学者」による馬鹿の研究によると、馬鹿は変化するそうです。
昨日の馬鹿と今日の馬鹿は違います。
変わる馬鹿は褒むべき馬鹿、つまり成長する馬鹿であるので素晴らしく、変わらない馬鹿はすごいが成長しない馬鹿なので駄目なのだそうです。

変化する馬鹿と変化しない馬鹿の違いは、俺がただの馬鹿のせいか分かりません。
馬鹿は変わらんから馬鹿なのだと思っていましたが、哲学上の馬鹿は変わるのですね。
でも、馬鹿が変わっても馬鹿である事は確かだとすれば、馬鹿が変わることに意味等ない事も確かだと思うのですが。
もし、馬鹿の変化に意味があると馬鹿が考えるのであれば、馬鹿が理解力の限界を遥かに超えた哲学書を読みまくったおかげで、論理がゴチャゴチャ絡まり合ってオーバーヒートしたからでしょうと。

では、馬鹿は天然の事だと思っている人は多いかも知れないが、馬鹿と天然とは全く異なるものですね。
天然は個性の出方がズレているだけですが、馬鹿はズレないしブレる事もないのですね。世界はパラレルだとする考えはズレでもブレでもなく奇っ怪な思想であって馬鹿しか思いつかない。

天然風味の馬鹿になろうとして、うん、なあに?なんて幼児言葉を使う馬鹿もいますが、見え見えだし馬鹿は天然にはなれない。

哲学者は馬鹿が嫌いです。
悪人は稀に善人になるが、馬鹿は死なないと治らないからだそうですが、馬鹿ほど哲学が好きだったりすると聞いた事もあります。
ヘーゲルはカンカンですし、マルクスも草葉の陰で激しく呻吟している事でしょう。
彼らの歯ぎしりの音が聞こえてきそうです!

皆さんは如何思われますか?

「馬鹿は哲学書を読んだら治るのか?」↓

治るわけありません。
余計に悪化した者の代表例が中二病患者などです。

哲学かぶれで現実逃避などの理由から、それらに酔っているお馬鹿さん達は相応にいます。

馬鹿は死ななきゃ治らない、というのは事実ですが、

アホ=マヌケな失敗やわかりきっている事でも失敗したりする…などなど…
馬鹿=アホが間違いを認めないで、意固地になって言い訳したりする…などなど…

馬鹿と言っても色々な意味の馬鹿があり、簡潔で悪い意味で言えば上記の様な感じだろう。

その悪い意味での馬鹿に関して言うなら、
周りからみて馬鹿とかマヌケとか言われる失敗するけれど、それを認められる者ならアホだけれども失敗を改善して前に進める可能性はある。

本物の馬鹿とは、それらの失敗などを認められない者達。
認められないから改善もできる筈はないのだから、間違ったままであり、だから、馬鹿は死ななきゃ治らない、となる。

「悪人は稀に善人になるが~」→×
根本は単純でも、現実の人の心は善悪二元論の様に単純ではなく、善悪だけに二分できるものではない。

抑々、人は自分も含めて誰しもお馬鹿さんであるのは事実。
失敗はするし、馬鹿な事の一つや二つは三つ……は、やらかしてしまうもの。
それを認められない者が、本物の馬鹿となり、認めない限り改善はできない。

故に、上辺だけではなく、本心から己が馬鹿だと理解して間違いなどを認められる者が真っ当な人間に成り得る。

「~成長する馬鹿であるので素晴らしく~」
これは悪い意味での馬鹿ではなく、何かに特化して集中するあまり、他が考えられない程疎かになっている、傍からみると社交性がなかったりする変わり者というお馬鹿さんだったり、
『お前他人の為に何でそんな馬鹿な事やったの? 馬鹿だよな~…まぁ、でもお前良い奴だし、俺はそういうの好きだぜ…』という感じの良い意味での馬鹿さんとかの事で、馬鹿の意味が異なる。

同じ言葉でも、使い方次第で意味が異なるものが無数にあるのは理解出来ますよね?

馬鹿と言ってもそれらの意味でも内容が変わる事なのだから、それにもよる事なのです。

#哲学 #哲学書 #馬鹿は哲学書を読んだら治るのか