光と風と時の部屋

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学習&ホラー小説「歴史教師と時空の落とし穴」7

「歴史教師と時空の落とし穴」7

 暫く瞳を閉じて、再び開けて気が付くと、別な場所にいた。今度は、先程のような邪気は感じられず、平和そうな旧街道だ。
(さっきみたいな戦場では無さそうね。良かった。まだ江戸時代かな。)
 草臥れていたので、隅の大木に三角座りをするようにして屈み、休憩する事にした。雨上がりの後なのか、地面が濡れていたので陰になる所を探したのだった。
すると、誰かが通り掛かる。年老いている老人のようだが、何処かで見た事のあるような顔だった。
「五月雨を 集めて早し 最上川………云々…。これはなかなか良いのが出来よるわい。天気がええと気分もええのう。それで良い句が浮かぶんじゃろうなあ。ふぉっふぉっ。」
訳は、「降り続いた雨で、水嵩を増した最上川の流れが早くなっている。ここ酒田への船着き場である大石田(おおいしだ)で川の流れがおさまるのを待つ事としよう。」になる。
(あれは、松尾芭蕉さんね。間違い無いわ。素敵。でも声掛けようにも、掛けられないな。) 
芭蕉は、暦には気付いていないようだ。道の左側に大木があり、周りには茂みも多いので、気付かないのだろう。ただでさえ、芭蕉は作詩に夢中なのだ。
(これで、まだ江戸時代の元禄文化だと言う事が分かったわ。そう言えば、松尾芭蕉さんと言えば、他には「笈(おい)の小文」や「猿蓑」とか作られてたわね。好きだったから私何回かは熟読しちゃった。そうだ。この頃は、近松門左衛門さんが「曾根崎心中とかの浄瑠璃脚本書かれていたっけ。井原西鶴さんが「好色一代男」って言う浮世草子を…………。)
 この頃は、他には儒学三派と言うものがあった。幕府は朱子学を重んじたが、朱子学を批判する陽明学、古学も隆盛した。理気説を主張し、忠孝・礼儀を重視した朱子学林羅山(京学派)と山崎(やまざき)闇(あん)斎(さい)(南学派)、知行合一を重んじ社会的実践論を主張した陽明学派は、中江藤樹と熊沢蕃山(くまざわばんざん)、古典研究により孔子孟子の本来の儒学思想を学ぶ古学派は山鹿素行伊藤仁斎荻生徂徠、太宰春台である。
(そうだ!近くに最上川があるんじゃないかしら!芭蕉さん、さよなら!気を付けてじっくりと元気に旅を続けて下さいね!私も今頑張って旅してます!)
 暦は取り敢えず頭を下げると、芭蕉が進む方とは反対側に走って行く。
 旧街道を抜けると、大きな川が広がっている。
(うわあ!綺麗!これが最上川ね。江戸時代だった頃のを見るのは感じが違うなあ。未来の平成とかよりは空気も澄んでるわね。この頃の自然は、本当に素敵だったわね。私は本当は勿論、生きてはないけど。)

ソウサ オマエハタシカニ イキテナドイナイ

(あら?何か聞こえたみたいだけれど、気のせいかしら?やっぱり、いつもより疲れてるのね?仕方無いわ。時空を駆ける旅だもの。それもランダムに……はあ……。)
 出来れば、この川で自分の下着やストッキングを洗っておきたいと思った。足浴もしたいけれど、いつワープになるかは分からない。
「せめて、手と顔と首だけでも洗っておきたいなあ。よし、そうしよう。」
 暦は川の畔(ほとり)でしゃがみ込むと急いで手を水に付けて顔や首を手早く濡らしながらしっかりと擦った。
(冷たくて気持ちイイ!ああ!)
 元禄文化は十八世紀初頭にかけて上方を中心に栄えた文化で、いわば上方商人の活力を背景に開花した町人文化だ。現実的な生き方と自由な人間性を基調にした。
 涼しくなったかと思えば、またワープだ。まあ丁度良いタイミングだろう。
 気が付けば、畳の上だ。広間だろうか。顔を上げれば、そこには装飾画。
 俵屋宗達の、「風神雷神図屏風」だ。
風神雷神様だわ。近くに俵屋宗達様がいるのかしら。まだ元禄文化の時代かしら?じゃあ他の場所では、尾形密林様が「紅白梅図屏風」や「燕子花(かきつばた)図屏風」を、菱川師宣様が「見返り美人図」と言う浮世絵を描いていたわよね。こんな間近で見られるなんて。)
「ん?そこにおるのは誰じゃ?」
 振り向くと、そこには男性がいた。こちらへやって来る。
「私は俵屋宗達じゃ。御前さんはここで何をしておるのじゃ?ここは私の仕事部屋なんじゃが。」
「すみません、あの……。」
「訳をじっくり聞こうぞ。どうしたのじゃ?泥棒ではあるまいな?…む!何か臭うぞ…何じゃ、この臭いは…?納豆に酢を混ぜたような。」
宗達は鼻の穴を膨らませながら冷静に言う。
(やだ、失礼しちゃう。それは、私の足の臭いよ。もう嫌ぁ、ワープしたいなあ。はあぁ。)
 溜息と付いて再び絵の方へ向き直ると、図屏風の中の風神と雷神の目がギロリとこちらを向いているように見えた!そして目が青く光った!絵の中へと吸い込まれるように暦は消えた。
 狭い宇宙空間のようなところを潜り抜けるように流された。願が叶ったかのようにワープした。

 ここも栄えた町だったが、江戸ではないようだ。江戸より古風だ。また更に時代を遡ったのか。その時、あちらで人が大勢集まっているのが見える。やけに騒々しいな、とは思った。
「諸君よ!しかと聞くが良い!ここにおわす源頼朝殿を、征夷大将軍に任ずる!!」
 そして熱狂が巻き起こる。暦は首を低くして耳を塞いだ。
「因みに今年は、一一九二年であ~~る!いい国(一一九二)作ろうぞ!鎌倉幕府じゃ!がっはっはっ!」
と御家老らしい武士の姿をした男が声を張り上げた。
 待って…。と言う事は、鎌倉時代の町ね。私も顔よく知らなかったけど、あれが源頼朝なのね………。ここで幕府が開かれるんだわ。
 一一八五年、頼朝は既に、守護・地頭の設置を後白河法皇に認めさせた。
 守護とは、大番催促、謀反人・殺害人の取り締まりや逮捕等の、大犯(だいぼん)三カ条が任務となる。地頭とは、年貢の徴収と納入・土地の管理・治安維持が任務である。
 暦は、またここで色々回って見て行こうかと思った。最強の資料集はここにあるのだから、動かなければ損になると当然ながらそう思ったのだ。
アスファルトよりも、こう言った小石がゴロゴロしたような硬い土の上歩くのって、尚も靴の底が擦り減りそうで嫌ね。そもそも、草履や下駄よりは高いパンプスだもの。さて、兎に角歩こうかな。色々見付けられたらなあ。一一八○年設置の侍所は御家人の統率をする所で、一一八四の公文所は一般政務、問注所は裁判・訴訟の事務ね。そうだわ。源氏は三代で絶えてしまったのよね。その後、北条氏の執権政治によって鎌倉幕府は運営されたんだったわ。)
 思い出せば尚且つ忘れないで済む。歴史は覚えるのが大変な科目なのだ。日本史等が暗記モノだからって侮れないし、人間社会を築くようでちょっと方向を誤ると秩序が破綻しかねない、そんな国家なのだ。現代社会と照らし合わせて日本の事をよく知り考える必要がある。本当は暗記モノではないのである。教師や、官僚、政治家ともなれば、頭でっかちであっては話にならない。そんなのではただの木偶(でく)の坊なのも同然だとそう言われたりもするのだ。知識と知恵は、似て非なるものであると、社会に出ればその事を改めて思い知らされる。
(そう言えば、多くの生徒が覚えているのは、北条義時承久の乱(一二二一年)かな。一番は、北条時宗元寇かしらね。一二七四年が文永の役、一二八一が弘安の役。だけど、その後の一二九七年の永仁の徳政令は、よく覚えてる子もいれば、そうでない子もいたわね。その次が、北条泰時の、一二三二年に制定された武家社会の初めての成文法「御成敗式目貞永式目)」だったかしら。)
 歴史を好きでない子の場合は、大体覚えるところは決まっているなあ、と暦もそう思っていた。好き不好き、得手不得手があれば、仕方無いと、それもあるのだ。
 それにしても、そろそろ足取りが重い…………。棒のように細くて綺麗な脚だが、その脚が本当に棒になる、とそう思ったのだ。
 色々思考を巡らせているうちに、また時空転移だ。そう、ワープだ。時間移動無しで、場所だけ移動すれば、それは空間転移になる。時間だけ移動すれば時間転移、時間移動と言う。ここのところ、時空転移ばかりだな、と暦は思う。
(時間か場所か、どちらかだけ移動、とかは無いのかなあ。)

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