光と風と時の部屋

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「歴史教師と時空の落とし穴」3

「歴史教師と時空の落とし穴」3

「何かしら、ここは…古びた街ね…もしかして、昭和ああ??何なの……??」
気が付くと暦は、田んぼに覆われた道に立っていた。幾つかの小さな民家が疎らに建っている。まるで昭和時代にでも飛ばされたようだった。いや、実際、昭和時代に飛ばされたのかも知れない。
「あ、待って。あ、あの飛行機…って、どう見ても、B二十九!?って言う事は、やっぱり、私…”タイムスリップ”しちゃったのお!?」
あのアメリカ軍が日本を爆撃する為に使用された、B二十九等の飛行機が無数に呼んでいる。
「ど、どうして?私が歴史教師だから現場で良く見てもっと勉強しろと?でも、どうしてそんな……幾らなんでもこれは可笑し……。キャアア……。」
この時、暦の頭上にナパーム弾が降り注いで来たが、暦は途端に、楽に気を失った。
流れ行く、歪んだ次元の中で、暦は勉強した内容をじゃんじゃんと思い出して行った。それも自力ではなく何者かの力によって、自動的に記憶が蘇るように…………。
昭和時代とは、一九二七年に山東出兵があった。国民政府軍の北伐に対し、軍閥張作霖(ちょうさくりん)
を利用して在留邦人保護を口実に出兵。それは日中対立激化に繋がった。日中戦争への過程としては、一九三一年・満州事変 一九三二年に満州国建国 一九三三年国際連盟脱退 
一九三七年・日中戦争、そして一九四五年にポツダム宣言受諾。
戦後の歩みとしては、一九七二年・日中共同声明日中国交正常化(田中内閣) 
一九七八年に日中平和友好条約締結(福田内閣)。
佐藤栄作内閣の一九六五年、南の大韓民国との間に「日韓基本条約」を締結し国交が正常化した。
「ああん、色々思い出せたのはいいんだけど、どうなってるのよお?帰りたい…帰して…誰か……?ここは何処お?まだ時空間にいるのかしら?何が起こったって言うのかしら…………??」
 ここは、大正時代かしら?と暦は思った。資料集、写真集もよく見ているので、暦には一目で、大体この風景は大正辺りかと見当が付いたのだった。
大正時代と言えば、一九一五年に第二次大熊内閣が中華人民共和国大総統袁世凱(えんせいがい)につきつけた利権拡大の要求。それによって抗日運動が強化した。これを、「二十一カ条の要求」と呼んだ。一九一九年には、パリ講和条約反対、反帝国主義、排日を叫んだ中国民衆の運動。これを「五・四運動」と呼んだ。同年に起こった朝鮮民族独立運動で、万歳事件とも言われるものがあった。それは民族自決の原則等を掲げた米大統領ウィルソンの十四カ条に励まされた。それが「三・一独立運動」である。

 ここは何処だろうか?背広に身を包んだ男が何十人も集まった裁判所みたいな場所に出ていた。いや、ここは国会議事堂のホールのようだ。
 そこには、木戸孝允大久保利通がいた事で、明治時代だとすぐに分かった。一八七三年、明治新政府は朝鮮に国交を望んだが拒否された。没藩士族の不満をそらす目的を持って征韓論が起こった。木戸と大久保らは内政の整備を訴えて征韓論を抑え、西郷隆盛は下野したと言う。その後。一八七七年には、西南戦争が起こる。
「おや、可愛い御嬢さん。どうしたんだね?一般の人は立ち入り禁止の筈じゃが。」
と一人の背広を着た中年の男は言った。
「あのう、今は明治時代、ですよね?」
「そうじゃよ。一八七三年の明治時代じゃ。もしやあんた、記憶喪失かい?」
「いえ、そう言う訳じゃないんですけど。気が付いたらここに…………。」
と暦は両手の平を組むようにして腹部に当てている。
 そう言えば、この後、一八七六年に日朝修好条規と言う不平等条約が起こり、朝鮮が開国するなんてこの場で暦は、とてもじゃないが言えはしなかった。
 一八八二年には壬午事変と言うクーデターが起こって日本公使館が焼き打ちされる事も。
一八八四年には甲申事変、一八九四年には東学党の乱、一九○四年には日韓議定書、一九一○年には韓国統治権が掌握され、ソウルを京城と改めて朝鮮総督府を置き、韓国統治の本拠とされる。これは韓国併合の事だ。何れはこれが起こるのだ。
 すると、またザザッとこの場面がフェードアウトされるようにまた切り替わった。
 ここは、周りの風景からすればまだ明治時代なのだろうか。すると五箇条の御誓文がこの一八六八年三月に新政府の基本方針としてどうのこうのと話し合っている中年男性がいた。そこにいたのは、それを起草した由利(ゆり)公正(きみまさ)と福岡(ふくおか)孝(たか)弟(ちか)だった。木戸孝允が後に修正する事になる。四月には政体書の制定がなされ、一八六九年一月には版籍奉還、一八七一年七月には廃藩置県だ。一八七六年の金禄公債証書発行条例により秩禄制が廃止され、士族の生活は困窮化した。これを秩禄処分と言う。
 その時、目の前に淀んだような色をした大きな穴がポッカリと空いた。またワープするのか。
(もう、何なのよお、帰りたいのに…………。)
「君、大丈夫かね?」
「え?」
「気が付いたか。」
そこには伊藤博文がいた。
「あの、ここは?」
「ここは枢密院と言う建物の中なんだ。倒れていたから吃驚したんだが。」
「はい。すみません、どうも。」
「いやいや。そうそう。たった今ね、昨年の憲法草案審議を経て大日本帝国憲法が発布されたところなんだ。君はもう知っているかね?」
「え?は、はい。」
 と言う事は、今は一八八九年になるのか。
「あのう、このまま行けば一八九○年には、第一回帝国議会が開催されま……あ!いえ、何でもありません!」
「ん?何を言っているのだね?君は…………??」
 また周りがどよんと変な色が混ざったような色に包まれる。またワープか。

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