あの『イエス・キリスト』は、果たして実際でも全身がマッチョ(筋骨隆々でシックスパック)だったのか?
あれだけストイックで弱者の味方なら、頭や心ばかりでなく身体も当然ながら毎日ストイックにきちんと鍛えていたのか?
しかしずっと前に、イエスキリストは何故か、『文武両道だが心だけはボロボロ』と言う風に聞いていたが、何故か?
全国でも普通によく居る、『文武両道』や『心武両道』に増して、
イエスキリストは、例え何度か心がボロボロになりかけた、またはなったけど、きちんと立ち直り、最終的には『心文武全能』では?とも思えるが、如何なものか?
歴史的イエスの関する資料は皆無である。
イエスの職業は、大工もしくは建設労働者を意味する『テクトーン』だったという説が有力だ。
これが事実だとすると、
イエスは職人、もしくは日雇労働者だった訳で、 1世紀のパレスチナの無学者の中では、貧窮者、物乞い、奴隷よりいくらかマシな最下層階級に属していたのではないかと思われる。
ローマ人はこの『テクトーン』という言葉を、教育のない、あるいは読み書きの習慣がない無学者を指す俗語として使っていた。
イエスはその両方であった可能性がある。労働者なので、ひ弱ではなかったと思われる。
20世紀ドイツにおける代表的な新約聖書学者ルドルフ・カール・ブルトマンは、1921年の『共観福音書伝承史』のなかで「原始キリスト教の信仰において本質的な事は、『宣教のキリスト』すなわち原始キリスト教団によって宣教(ケリュグマ)されたキリストなのであって、必ずしも『史実のイエス』ではない」と言っている。
そもそも福音記者たちに「史的イエス」に関する興味はほとんどなかったという説である。
これは、原始キリスト教史家であるブルトマンみずからが、各福音書に対して、徹底的な史料批判をおこなって、考察したうえで出された結論だった。
ヘブル聖書、ラビの書物 死海文書等を参考に読み解くと、また色々分かるかも知れない。
しかしそれはまた追々で良いだろう。