光と風と時の部屋

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トルストイ著『人生論』

人生論 (新潮文庫)

人生論 (新潮文庫)

私が少し前に読みました、
トルストイ「人生論」より。

○生命はどこから生ずるのか、非物質的な起源からか、それとも物質の様々な組み合わせによるものなのか、と言う議論は昔からよく知られている。この議論は未だに続いているので、何の解決のメドも予見出来ないのだが、それと言うのも、あらゆる考察の目的がそっちのけにされて、目的と関わりなく、生命について論じているからに他ならない。だから、「生命」と言う言葉で理解しているのは、最早生命ではなく、生命はどこから生ずるかとか、生命に伴うものは何かと言う事なのである。

○経験や観察を抜きにして理性の結論だけで世界の法則を決定するのが、誤った、非科学的な、つまり、真の知識を与え得ない方法である、と言う事には私も同意する。

○死を恐れる人は、死が空虚と暗黒に思われる為に、恐れるのであるが、彼らが空虚と暗黒を見るのは、生命を見ていないからに他ならない。

○人間の理性は誤った方向付けをされて来た。元々生命では有り得ない、自己の肉体的、個人的な生存のみを生命と認めるように教え込まれてしまったからである。

○思い出の中に人は、その一点を、理性的な意識の始まりを、決して見出だせないだろう。理性的な意識は常に自分の内に存在していた、と人には想像される。仮に人が何かその意識の始まりに類するものを見出だすとすれば、それは最早絶対に自己の肉体の誕生の内にではなく、そうした肉体的誕生とは何一つ共通のものを持たぬ領域で見出だすのである。

如何でしょうか?

一見は小難しいです。が、何となくじわじわ分かって来る気がします。
「生存」とは、人間の一生を誕生から死ぬまでの時間的、空間的な存在として捉え、その期間における個我の動物的幸福の達成を一生の目的と考える生き方を言う。これに対して「生命」とは、人間の一生を誕生と死と言う二つの点で区切られる事の無い、永遠に続くものとして捉え、その間、自己の動物的個我を理性的意識に従属させて生きる事を指す。このような「生命」を獲得するならば、最早人間にとって「死」は存在しなくなり、真の幸福が獲得されると、トルストイは説いています。😊
重病の床にあって死について考える事から、逆に生の意味を問い直そうとしたトルストイにとって、永年に渡る思想的遍歴の後で到達したこの結論は極めて当然のものでありましたし、またこの考えがいわゆるトルストイズムの根底をなすものである事は、今さら言うまでもないと。極端に過ぎるとさえ思われるトルストイの思想は、いつの時代になっても、我々に、生きる事の意味を改めて考え直させる重い問い掛けを含んでいます。🙋😊