光と風と時の部屋

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ナイチンゲールについて。



ナイチンゲールは、立派で天才的な稀代の看護婦であった事は確かだが、更には医師になれる程の学力・偏差値や頭脳も果たしてあったのか?


ナイチンゲールは、裕福な上流階級の生まれで、両親は2年間もの新婚旅行を楽しみ、彼女はその途中の北イタリア・フィレンツェで生まれたため、フィレンツェの英語読みのフローレンスと名付けられた。
ナイチンゲールは姓)
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女性ではあったものの、幼少期は贅の限りを尽くした教育を受け、英語はもちろんフランス語・ギリシャ語・イタリア語を自由に話して読み書きし、ラテン語も習得。
さらにギリシア哲学・数学・天文学・経済学・内外の歴史、美術、音楽、絵画、英語、地理、心理学、詩や小説などの文学などの教育を受けた。

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これらの影響によりナイチンゲールはかなり高い教養を身に付けた。



当時、看護婦は医者の召使いがついでに患者の面倒を看るという程度の認識が欧州では一般的で、ようやくアメリカやドイツで専門教育を受けた専業看護婦という考え方が出来たころであったので、ナイチンゲールのような上級階級出身者が就業するのはめずらしい事であった。


クリミア戦争野戦病院に派遣されても、上層部の男共の考え方は似たようなものであった。
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ナイチンゲールはこれを改めさせるために、統計学を駆使してイギリス王室の女性たちにわかりやすく、ケアと衛生観念の必要性を唱え、これが受け入れられて大きな功績を残した。



帰国後は看護婦としてはある意味卒業し、看護婦教育や傷病者の統計研究を行い、後には近代的な病院設計の基礎となる病院設計まで行なった。

ナイチンゲールは「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という考え方を唱え、ボランティアではないプロフェショナルによる継続的かつ経済的に自立した看護体勢の確立を唱え、赤十字社の考え方を否定している。
(にも関わらず赤十字創立者アンリ・デュナンナイチンゲールを高く評価した)

あまりの超人的かつ誰であろうと直言を厭わない果敢な姿勢により、交渉相手となる陸軍・政府関係者はナイチンゲールのオフィスを「小陸軍省」と呼んで首をすくめていたと言う。


ナイチンゲールは1859年(38歳時)にイギリス王立統計学会の初の女性メンバーに選ばれ、後にはアメリ統計学会の名誉メンバーに選ばれた。